「暴力」について、長く鈍感であったと思う。

哉
私の人生はそのようなものだと諦めていた。
この言葉はあまり好きではないが、私は自己肯定感がとても低い。
勝手に身体に触れられること
自由な考えを持つことを禁止されること
大きな声で怒鳴られること
身体の自由を奪われること
殴られること
大切なものを蔑ろにされること
これらは全て、
「私のようなものはされて当然のこと」
と諦めていたし、
それは愛から行われる行為であり、受け入れられない自分は間違っていると考えていた過去があった。
暴力とは、一般的にイメージする殴る蹴る等の身体的な暴行以外にも、様々な種類がある。
人生において暴力や加害の意味について考えるようになったのは、人に触れることを生業にするようになってから。
愛しさから優しく相手の身体に触れる行為、それすらも場合によっては暴力となり得る。
これは暴力であるかと意識するようになってからもなお、失敗することもあるし間違える。
それでも、暴力や加害を扱うものとして、暴力や加害の解像度をもっと上げてゆきたいと考えている。

哉
