Joyに入店する際、一番不安で避けたかったものが「縄」であった。
過去に何度か縛られた経験はあるものの、いずれも私にとって良い体験とは言い難かった。その縄に対する不安感は幼少期の経験に起因しており、避けたい気持ちは「覚えることが面倒」という私の大雑把で無精な性格から来ていると考えている。
Joyに入店し、経験豊富な先輩女王様に縛りを教えていただいた。物覚えの悪い私には簡単なものではなく、やはり避けたいという気持ちは変わらなかった。それでも、教えていただいたからには身につけなくては失礼だという半ば義務感のような感情から、初めての縄会に足を運ぶことにした。
縄を学び始め何度か経験するなか、感じた気持ちを言語化し伝えたいという思いから、今この文章を書いている。
受け手としての気持ちを知るために、何人かの縛り手に縛っていただく経験をさせてもらった。その中で、同じ縄でも縛り手によって受ける印象が異なることに気がついた。そして、その印象は必ずしも縛り手と対面した際に受ける印象とは同じではないということも実感した。
華やかで明るく、どこかふわふわした印象を持つ方の縄は、意外にも鋭角的できちんとした、まるで幾何学模様のような生真面目な印象を与えるものであった。
美術的なセンスに優れた友人の縄は、その人の性格を表現するかのような美しいものでありながら、視覚的な美しさを重視するあまり、肌を通して感じるものが少ない縄であった。
優しくも頼りなげな印象すら持つ方の縄は、意外にも身体をきちんと締め上げ、呼吸まで支配される強さを感じるものであった。
逆に、普段高圧的で語気の強い印象を持つ方の縄は、どこか優しさや思いやりを感じさせる包み込むような縄、そしてわずかな迷いを感じる縄であることがあった。
受け手が求める縄もまたそれぞれ異なることを知った。私が心地よいと感じる縄と、他者が求める縄が同じではないということだ。縛り手は受け手の言葉や身体の反応から、その点を感じ取ることが重要なのかもしれない。
縄を通して伝わる感情があるのではないか。「緊縛はコミュニケーションである」という言葉が心に響いた。縄に対する苦手意識はいつの間にか薄れ、ますます縄に魅了されていく。私は、縄が好きなのかもしれない。
私に縛られた経験のある方は、きっと私の縄からまだ頼りなく迷いの多い印象を受けたのではないかとも思う。
私が結びたい縄はどのようなもので、私があなた方に「緊縛」という手段で伝えたい感情は何なのか。技術を磨きながら、そんな自分の内面にも向き合っていきたいと感じている。
縄と向き合うきっかけを与えて下さった、咲女王様・椿女王様・清流花女王様への感謝も込めて。
哉